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わたしの視点:高田 真(アーキウォーク広島代表)

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旧広島陸軍被服支廠倉庫

被爆建物「被服支廠」

近代史を体現 増す希少価値

中国新聞(2020年1月14日付)掲載

 もし「お金がないから原爆ドームを壊します」と言われたらどうだろう。誰もが「ありえない」と思うのではないか。だがそれは、原爆ドームの評価が定まった現代だから言えることだ。実際は、広島市長を含めて根強かった解体論を世論が押し返し、市議会が保存を決議した時には被爆から21年が経過していた。そして今まさに、原爆ドームの保存・解体論に匹敵する重い判断だったと後世から指摘されるであろう、大きな決断がなされようとしている。広島市内に残る最大の被爆建物である「旧陸軍被服支廠」(南区)の解体問題である。県は所有する3棟のうち2棟を解体する方針を示している。報道によれば1棟を所有する国も解体意向というから、現存する4棟中3棟が解体の瀬戸際にある。県は残す1棟についても、抜本的な耐震化を当面行わないと表明しており、さらに老朽化が進むことで、その1棟すら失われる可能性もある。

被服支廠は軍服や軍靴の製造・補修・貯蔵を担った施設で、この倉庫群は1913年に建設された。陸軍の一大拠点だった広島市内の巨大な軍施設は被爆時あるいは戦後に大半が失われ、ついに旧糧秣支廠の一部と、この倉庫群を残すだけとなった。現地に行くと延々と続く、れんが壁に圧倒される。それでも旧被服支廠のごく一部というから、かつての軍都広島がいかに大規模だったかを実感できる。軍需工場の遺構は全国的に見てもわずかで、希少価値は増すばかりだ。さらに倉庫群は日本最古級の鉄筋コンクリート造りでもあり、世界的に見ても非常に古い。れんがとの併用は他に類がなく、建築史上も特筆すべき存在といえる。倉庫群は被爆時に倒壊しなかったため、臨時救護所となり、多くの重傷者がここで息を引き取った事実も忘れてはいけない。外観は被爆当時の姿をよくとどめており、曲がった鉄扉が並ぶさまは、見る者に訴えかける力がある。

建築単体で見れば1棟残せば十分という考えもあるだろう。しかし、この倉庫群のポイントは4棟が並ぶ巨大な空間が現にあることで、被爆の実相とともに広島の近代史を体現している点にある。その点で原爆ドームに匹敵する存在価値があるとも言える。歴史を学ぶ時に書物や映像から得られる知識だけでは不十分で、その場所に身を置き五感から得られる実感がとても大切だ。このかけがえのない遺産を目先の状況だけで処分することは、後世の人が実感を得る貴重な機会を永遠に奪うことになる。歴史が教科書の中だけのものになると、後世の人から「広島は軍都だったと書いてあるが、想像がつかない。本当なのか」と言われかねない。

この倉庫群の保存は技術的には可能だが、改修費用の負担が過大で、かといってこれ以上放置もできないから解体するというのが県の説明だ。ならば民間など外部資金を導入して県の負担を軽くできれば解体は防げるはずだ。奈良では優れたれんが建物である旧少年刑務所を民間資金でホテルに再生させる計画が進むなど、他県ではさまざまな取り組みが行われている。巨額とされる改修費用も、条件によっては同規模のビルの建設コストに近づくように思える。都心から遠い立地も課題だが、建物の希少性を生かして事業化を試みる企業や投資家が現れるかもしれない。県は何もかも自分だけで抱え込まず、この倉庫群を人類社会で共有すべき遺産と捉えて、国内外の知恵や資金を広く募るべきではないか。

そして私たち市民も、今回の解体問題の本質的な原因が一人一人の無関心にあることを自覚すべきであり、この問題を県だけに押し付けるべきではない。倉庫群の価値を広く共有し、皆で力を合わせて残す方法を探していけば、必ず道は開けると信じている。県は、この問題について16日まで意見を募集している。ホームページから誰でも簡単に意見を出せる。一人一人の声を直接届けられる唯一の機会でもあり、多くの意見が集まることを切に願っている。

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