土屋時子
去る6月6日、旧被服支廠の10番倉庫(現4号棟)前の中庭で、標題・短編映像の撮影会が開催された。作品の概要と趣旨については<イベント>に掲載済みなので、ここでは撮影会の様子と、出演した母親役・土屋時子と娘役・福岡奈織の感想をひと言述べて、報告とする。
長机の上に、細長い絹糸、針と赤い糸、糸切バサミ、アイロンが準備され、一心に千人針を作っていく祖母<実際に呉の女学校の時、千人針に参加している>、それを糸切はさみで解いていく母、その針孔にアイロンをかけ、元の真っ白な絹糸にしていく娘。
「実際はサラシじゃけえ縫いやすかったんじゃが、絹は難しい」と祖母は呟きながら、白地に真っ赤な糸玉を次々と作っていく。セリフも何もないので、ただお喋りしながらの単純な作業。1時間、2時間・・・ただカメラは回る。その中で数分が映像化されるのみだが・・・ 果たしてその場面が作品として、どう映し出されるのか分からないが、楽しみである。
新井さんは、核実験や原発事故など、「核」をテーマにした作品に取り組んできた(中略)今回初めて被服支廠を訪れた新井さんは「戦争のスケール感に圧倒された」という。「実際に見てみなければ分からないことがある。情報として伝わる歴史だけでなく、被服支廠のように実物として残る歴史を伝えたい」と語った。
2020/6/7 朝日新聞 「銀板写真に刻む千人針への思い」
作品は20分程度の予定で、軍需品を生産していた被服支廠のかつての写真や、現在の様子も入れる。千人針も被服支廠の稼働も同じ戦時の営みであることも踏まえ撮影現場に選んだ。被服支廠については「残すのは勿論だが、現代において私たちがどう関わっていくべきかも考えたかった」と話した。
2020/6/7 中国新聞 「被服支廠 戦時の記憶写す」
<土屋時子のひと言感想>
せっかく縫い上げた千人針を、解いていく意味が分からないまま作業を黙々と続けた。「どんな気持ちで縫ってたんですか?」と聞く奈織さんに「そりゃあもう、兵隊さんの無事を祈りながら…」と懐かし気に話す祖母。私は撮影中は思い浮かばなかったのだが、帰宅して色々考えだした。戦後生まれの私は、「こんな子供だましのような千人針など無用の行いだ」としか思えない。だがもしその時代生きていて、千人針を頼まれたら果たして拒否できたのだろうかーと。被服支廠という「場」で、戦前~戦後(現代)へという不思議な時の流れを体験した。
<福岡奈織のひと言感想・Facebookの抜粋>
去年の12月ハワイの陸軍博物館で千人針を見た。隣にいた米国の方がフフと笑われた。そんなことも思い出しながら、山口さんにとっての75年ぶりの千人針。どんな気持ちで作ったのだろうか、どんな顔をして座っていたらいいのかも分からずに、ただただ不思議な時間だった。ただ、几帳面なおばあちゃんで早くは進まない玉づくりを、土屋さんと私とで、糸を伸ばしたり、ひっぱたりしながら過ごした時間は何とも、本当に忘れられない。後ろに続く被服支廠の数えきれないレンガと、コンクリートの壁に耳を澄ませながら。。。
※翌日は奈織さんが住む、安芸高田市での農村風景の撮影もあった。